“【武田信玄の西上作戦】信玄最後の戦いとなった遠江国侵攻戦” の続きを読む
日本の歴史をできる限りをわかりやすく
茶室の入り口がなぜあんなに小さいのかと疑問に思ったことはありませんか。
私は、初めて見たとき、無知から、「入口ちっちゃ、入りにくい。」と単純に思いました。
茶室の入り口は、なぜこの様な作りになっているのでしょうか。
その理由は、それまでの茶の湯の世界を一変させ、現在に繋がる茶の道を作りあげた千利休が理想とした侘び茶の世界観にあります。
以下、茶室の入り口が狭い理由について、千利休が生涯をかけて大成させた侘び茶の世界観を紐解きながら見て行きます。 “【茶室の入り口・躙口が狭い歴史的理由】千利休の侘び茶の世界観” の続きを読む
白鷺城の別名を持つ姫路城は、木造建築の最高傑作として平成5年(1993年)に日本初のユネスコ世界文化遺産に登録されるほどの造形の美しい城なのですが、極めて強い防衛力を持っている堅城としても有名です。
もっとも、姫路城の内曲輪には、戦闘用ではない曲輪である西の丸が存在しています。
防衛施設であるはずの城に戦闘用でない曲輪が存在していることは極めて珍しいことなのですが、この曲輪が設置されたのには深い理由があります。
そこで、本稿では、姫路城の非戦闘用曲輪である西の丸について、その設置の経緯から順に説明していきたいと思います。 “【姫路城・西の丸】姫路城にある千姫専用の曲輪” の続きを読む
江戸時代には大小200を超える藩がありましたが、その藩主が必ずしも名君であった訳ではありません。
藩主がとんでもない人間だったら、その藩の領民はとてつもない迷惑を被ることになります。
身分社会だった江戸時代にこれから逃れる術はありませんので、藩主が暗君・暴君だったら領民は悲惨です。
そんな江戸時代の藩主の中で、最悪の政治をした暗君親子がいます。
島原藩初代藩主松倉重政と、2代藩主松倉勝家です。
恐らくこの2人が、江戸時代ワースト1とワースト2であったことに間違い無いと思います。
以下、2人の傍若無人ぶりを紹介していきたいと思います。 “【松倉重政・松倉勝家】島原の乱の原因を作った江戸時代最悪の暗君親子” の続きを読む
織田信長は、尾張国を統一後、永禄3年(1560年)から美濃侵攻を開始しますが、美濃国を平定するのに足掛け7年間も費やしています。
織田信長のその後の快進撃と比べると、美濃平定には相当手こずったことが見てとれます。
以下、織田信長が苦労した美濃平定戦について、時間の経過を追いながら見ていきましょう。 “【織田信長による美濃国平定戦】7年に亘る斎藤家討伐戦” の続きを読む
宇喜多直家(うきたなおいえ)は、ひたすら政敵を暗殺しまくったことで有名であり、戦国三大梟雄の1人にも挙げられる戦国大名です。
親族の情もなく、汚いことも平気でやってのけることからさぞとんでもない性格だと思われますが、実は家臣思いで情に厚く、また領国経営でも優れた手腕を発揮した傑物でした。
以下、極端に賛否両論が分かれる戦国武将、宇喜多直家について見ていきたいと思います。 “【宇喜多直家】実は家臣には優しかった梟雄” の続きを読む
三好長慶(みよしながよし)は、下克上を果たして日本の権力の中枢に上り詰めた一大権力者です。織田信長に先立つ天下人とも言われます。
かつては下克上に遭って失脚しただとか、晩年にボケたなどと言われることもありますが、これらの評価は誤りです。
以下、三好長慶の生涯を簡単に見ていきたいと思います。 “【三好長慶】織田信長に先立つ日本最初の天下人” の続きを読む
城とは、 敵からの攻撃を防ぐための軍事施設です。単に天守のみを城と言うのではなく,その防御施設全体が城です。
古くは、平安時代から既に存在していたようですが、当初は、一定の範囲を柵で囲んだだけの造りでした。
それが、時代を経るにつれて次第に進化していきます。堀が掘られ、土が盛られ、構造物が造られるなど複雑化していきます。
完成期とも言える戦国末期になると、それこそ様々な仕掛けが設置された究極の機能美を持つに至ります。
これが、後世の我々を強く引き付ける所以です。
城を知る上では、まず、その城が造られた時代背景を前提に、地形を確認して全体像を掴み、次に曲輪の配置の意味を考え、それぞれの防御施設を確認してから、天守に思いを馳せるというのがわかりやすいと思いますので、本稿ではこの順にかいつまんで紹介したいと思います。 “日本のお城入門(観光用)” の続きを読む
学校などで習う戦国時代の歴史は、中部地方より西の話がほとんどですので、関東地方の戦国史を詳しく勉強する機会は少ないのではないでしょうか。
しかも、関東の戦国史では、何とか公方・足利何とか・関東管領上杉何とかやら、似たような名前ばっかり出てくるため、混乱しがちです。
この一見ややこしい関東の戦国史ですが、以下の4期に分けて考えると理解が進みます。
第1期が室町幕府と鎌倉府の対立(1349年~1441年ころ)、第2期が鎌倉府と関東管領の対立(1447年ころ〜1467年ころ)、第3期が関東管領家の内乱(1467年ころ~1493年ころ)、第4期が北条家の台頭(1493年ころ~1590年)です。
以下、これら4期に分けて関東戦国史について簡単に説明していきたいと思います。
“【関東の戦国史】鎌倉公方→関東管領→後北条氏の流れについて” の続きを読む
2004年の紙幣刷新時に女性として初めて起用され、その後30年もの間、5000円札の顔となった樋口一葉。
その人生を振り返ってみると、なぜ樋口一葉5000円札の肖像として採用されたのかはなはだ疑問です。
以下、樋口一葉の人生について、お金と作品に注目しながら見ていきたいと思います。 “【樋口一葉】生涯貧乏だった5000円札の顔” の続きを読む