方広寺銘鐘事件(ほうこうじしょうめいじけん)は、方広寺の鐘に記された銘文に徳川家康が激怒し、その後の大坂の陣・豊臣家滅亡の切っ掛けとなったとされる事件です。
この鐘は現存しているため、見たことがある方も多いのではないでしょうか。少なくとも、誰もが学校の教科書で一度は目にしていると思われます。
本稿では、歴史を変えた方広寺銘鐘事件(読み方:ほうこうじしょうめいじけん)について、そのあらすじを簡単に説明したいと思います。
なお、方広寺という寺号は、江戸時代中期以降に自然発生的にそのように称されるようになって定着したものであり、江戸時代初期までにその寺号はないことから、「方広寺鐘銘事件」は「京都大仏鐘銘事件」といわれることもあります。
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