出島(でじま)は、寛永13年(1636年)、江戸幕府が日本国内に南蛮人が滞在してキリスト教が普及することを防ぐため、ポルトガルを収容目的で長崎に築造した扇形の人工島です。
築造直後から寛永16年(1639年)までの3年間はポルトガル商館が置かれたのですが、ポルトガルとの断交により寛永18年(1641年)から安政6年(1859年)まではオランダ東インド会社商館が置かれて貿易が行われました。
西欧国家との江戸時代唯一の窓口となり、江戸時代にのべ700隻以上ものオランダ船が来航し、貿易品・文化・情報などを伝えました。
幕末に日本が開国したことによりその役割が終了し、明治以降の長崎港港湾整備に伴う周辺の埋立等により長崎と陸続きとなって扇形の面影は失われました。
その後、平成8年(1996年)に長崎市により出島復元整備事業計画が策定され、江戸当時の出島の姿への復元が進められています。 “【出島】江戸時代日本における西欧国との唯一窓口であった人工島” の続きを読む