【上月城】尼子家再興の夢が途絶えた西播磨の山城

上月城(こうづきじょう)は、播磨国周辺に大勢力を誇った赤松家の支城として兵庫県佐用郡佐用町(旧上月町)に築かれた山城です。

戦国時代末期には織田・毛利の戦いの最前線となって2度に亘る大きな戦いが行われ、中国地方に一大勢力を築いた尼子家が再興に失敗して滅亡に至った城でもあります。 “【上月城】尼子家再興の夢が途絶えた西播磨の山城” の続きを読む

【多治比猿掛城(多治比城)】毛利元就が幼少期を過ごした城

多治比猿掛城(たじひさるがけじょう)は、毛利家の本城であった吉田郡山城の支城として同城の北西部の防衛を担っていた山城です。

戦国大名・毛利元就が幼少期を過ごした城として有名です。

現在は、「毛利氏城跡 多治比猿掛城跡 郡山城跡」として、吉田郡山城と共に国の史跡に指定されています。 “【多治比猿掛城(多治比城)】毛利元就が幼少期を過ごした城” の続きを読む

【吉田郡山城(日本100名城72番)】中国地方の覇王・毛利家の居城

吉田郡山城(よしだこおりやまじょう)は、中国地方11カ国を統治するに至った戦国大名毛利家の居城であった城です。

安芸国の国人領主に過ぎなかった毛利家の第12代当主・毛利元就によって、安芸国吉田荘(広島県安芸高田市吉田町吉田)にあった砦規模の小さな城が郡山全体を取り込んだ巨大近世城郭に造り変えられた城でもあります。

本稿では、大内・尼子という二大勢力に挟まれながら、これらを撃破して中国地方の覇者となった毛利家と共に発展した吉田郡山城について、その歴史的沿革や縄張り等について解説していきたいと思います。

なお、吉田郡山城跡は「毛利氏城跡 多治比猿掛城跡 郡山城跡」として多治比猿掛城と共に国の史跡に指定されています。 “【吉田郡山城(日本100名城72番)】中国地方の覇王・毛利家の居城” の続きを読む

【岡山城(日本100名城70番)】毛利家と戦うための宇喜多家の城

岡山城は、備前国御野郡岡山(現在の岡山市北区)にある織豊時代の遺構を残す珍しい城です。

天守の黒さ、珍しい不等辺五角形の天守台,大きく東に寄った本丸,対岸の後楽園の歴史など、その独特さで歴史ファンの心を鷲掴みにしています。

本稿では、そんな岡山城を簡単に説明したいと思います。

“【岡山城(日本100名城70番)】毛利家と戦うための宇喜多家の城” の続きを読む