久米田の戦い(くめだのたたかい)は、十河一存が死亡したことを好機と見た畠山高政が岸和田城を包囲するために出陣し、これに対応するために派遣された三好実休軍との間で、永禄5年(1562年)3月5日に発生した合戦です。
戦いは、和泉国八木郷の久米田寺周辺にある貝吹山古墳(現大阪府岸和田市)に布陣した三好実休軍に対して、畠山高政軍が攻撃をしかけたことによって始まり、畠山高政軍の奇襲により三好実休が討ち取られて三好軍が敗北するという形で終わっています。
三好政権を支える三好実休が死亡したことにより、三好長慶政権が凋落するきっかけとなった原因の一つともいわれる合戦でもあります。
本稿では、そんな三好政権の転換点となった久米田の戦いについて、その発生に至る経緯から説明していきたいと思います。 “【久米田の戦い】三好実休が討死し三好家凋落のきっかけとなった合戦” の続きを読む