薩長土肥という幕末に雄藩の1つとして、明治維新を推進すると共に、明治新政府においても主要官職に人材を供給した佐賀藩(肥前藩)ですが、他の3藩(薩摩藩・長州藩・土佐藩)に比べるとその知名度は大きく落ちます。
それどころか、なぜ佐賀藩が雄藩の1つに入っているのか疑問に思われる方も多いのではないでしょうか。
実は、佐賀藩は、10代藩主鍋島直正の下で幕末最強の科学技術力を獲得し、それにより得た軍事力を供して明治維新成功に大きく貢献しているのです。作家の司馬遼太郎は、明治維新は一足先に佐賀藩で達成されたとまで述べています。
もっとも、佐賀藩がこのような突出した科学技術力を獲得するに至るまでには苦難の歴史がありました。
そこで、本稿では、佐賀藩が明治維新の原動力となった強力な科学技術力を得るに至る経緯について、簡単に説明していきたいと思います。 “【佐賀藩政改革】幕末日本最先端の科学技術集団となった経緯” の続きを読む