最強武田軍のナンバー2といえば?もしもこの人が生きていたら武田軍滅亡はなかったのではないか?と言われて誰もが思い描く武田信繁。
本稿では、才に恵まれ欠点がほぼ見当たらないパーフェクトヒューマンであり、甲斐武田家を継ぐ可能性があったにもかかわらず、兄武田信玄の脇役に徹したという武田信繁の生涯について見ていきましょう。 “【武田信繁】甲斐武田家の絶対的ナンバー2である武田信玄の実弟” の続きを読む
日本の歴史をできる限りをわかりやすく
最強武田軍のナンバー2といえば?もしもこの人が生きていたら武田軍滅亡はなかったのではないか?と言われて誰もが思い描く武田信繁。
本稿では、才に恵まれ欠点がほぼ見当たらないパーフェクトヒューマンであり、甲斐武田家を継ぐ可能性があったにもかかわらず、兄武田信玄の脇役に徹したという武田信繁の生涯について見ていきましょう。 “【武田信繁】甲斐武田家の絶対的ナンバー2である武田信玄の実弟” の続きを読む
40年以上に亘って武田3代に仕え、70回を越える戦を常に最前線で戦ったにもかかわらず、命を落とすことになった長篠の戦いまでかすり傷一つ負わなかった「不死身の鬼美濃」馬場信春(何度か名が変わっていますが、本稿では馬場信春で統一します。)。
一国の太守になれる器量人であるとまで評される大器であったとも言われ、その最期も武田勝頼を生かすために犠牲になるという泣ける死際まで披露しています。
そんな猛将・馬場信春ですが、実は生まれの身分はそれほど高いわけではなく、武田信玄の下で自らの才覚により上り詰め名を挙げた武将です。
本稿では、そんな不死身の鬼美濃・馬場信春の人生を紹介したいと思います。