【クナシリ・メナシの戦い】

クナシリ・メナシの戦いは、寛政元年(1789年)年に道東の国後郡から目梨郡にかけての地域で起きた、アイヌ交易権を濫用していた飛騨屋の横暴にたえかねたアイヌ人の一斉蜂起です。

130人のアイヌ人が蜂起し、71人の和人が殺害されたのですが、発生場所が遠方ということもあり、松前藩の鎮圧部隊が事件発生の2ヶ月後に現場に到着したころには蜂起は終結していたため、実際には松前藩とアイヌとの戦闘が行われることはありませんでした。

大規模戦闘が起こった訳ではありませんでしたが、松前藩から交易権を代行していた飛騨屋の横暴とそれによるアイヌの困窮が明らかとなり、江戸幕府によるアイヌの生活環境改善に向かうに至ったターニングポイントとなった事件です。

本稿では、クナシリ・メナシの戦いについて、その発生に至る経緯から簡単に説明していきたいと思います。 “【クナシリ・メナシの戦い】” の続きを読む

【シャクシャインの戦い】アイヌ民族最大の武装蜂起

シャクシャインの戦いは、寛文9年(1669年)6月に松前藩(とその代行者となっていた和人商人)からの搾取に耐えきれなくなったアイヌ・シブチャリの首長シャクシャインが中心となって起こった武力蜂起です。

大枠はアイヌと和人の諍いなのですが、アイヌ部族間の紛争が激化し、それを収めることができなかった松前藩に対する誤解をシャクシャインが巧みに利用して大規模紛争に発展しました。

松前藩単体との関係では戦いを有利に進めていたアイヌ・シャクシャインでしたが、松前藩側に江戸幕府が関与したことによりアイヌ側に勝ち目がなくなりました。

最終的には、松前藩が、藩のお家芸ともいえる汚いやり方でシャクシャインを騙し討ちしたことによりアイヌが鎮圧され、戦後アイヌが更なる厳しい立場に置かれることとなっています。 “【シャクシャインの戦い】アイヌ民族最大の武装蜂起” の続きを読む

【道明寺の戦い・誉田の戦い】後藤又兵衛が戦死した豊臣軍と徳川大和方面軍との合戦

道明寺の戦い(どうみょうじのたたかい)・誉田の戦い(こんだのたたかい)は、慶長20年(1615年)5月6日に発生した、徳川・大和方面軍と豊臣方迎撃隊との間で発生した野戦です。

大坂夏の陣のクライマックス直前の戦いの一つであり、後藤又兵衛(後藤基次)が戦死した戦いでもあります。

以下、道明寺の戦い・誉田の戦いについて、その発生経緯から順に説明します。 “【道明寺の戦い・誉田の戦い】後藤又兵衛が戦死した豊臣軍と徳川大和方面軍との合戦” の続きを読む

【島原の乱】幕府を鎖国へ導いた江戸時代最大の内乱

誰もが一度は耳にしたであろう島原の乱。

島原・天草の乱、島原・天草一揆とも言われる江戸時代初期に起こった日本の歴史上最大規模の一揆です。

宗教戦争であるとか、厳しい年貢に反発した一揆であるとか様々な説が唱えられる戦いでもあります。

島原の乱により鎖国が始まり、以降明治維新に至るまでの江戸幕府の本格的戦争といえ、歴史的意味は絶大です。

本稿では、そんな島原の乱について、発生原因から、戦の経緯、事後処理について順に見ていきます。

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