乃木 希典(のぎ まれすけ)は、日露戦争での旅順攻囲戦の指揮をとり日本を勝利に導いた陸軍軍人です。
その質実剛健の性格を評価されて第10代学習院長となって迪宮裕仁親王(昭和天皇)の教育係を務めたことや、明治天皇の後を追って殉死(割腹自殺)したことでも有名です。
旅順攻囲戦の指揮により「軍神」との評価されたり、陸軍大将となって贈正二位・勲一等旭日桐花大綬章・功一級伯爵を受けたりした上で「乃木神社」や「乃木坂」などに名前を残したりする成功者である一方で、戦歴に関しては必ずしも華々しいものではなく、失敗続きの屈辱にまみれた人生でもありました。
西南戦争・日露戦争などで後悔を積み重ねて精神的に疲弊し、死に場所を探していた人生と言っても過言ではないかも知れません。
本稿では、苦難に満ちた軍神の生涯を紹介していきたいと思います。 “【乃木希典】名将か愚将か?死に場所を探し求めた軍神の生涯” の続きを読む