コシャマインの戦いは、康正3年(1457年)5月から数ヶ月の間繰り広げられた始まったアイヌと和人との戦いです。
夷島と呼ばれた室町時代の北海道において、古くから同地で暮らしていたアイヌに対し、本州から移り住んできた和人が領主的立場に立って搾取を繰り返したため、アイヌ少年殺人事件を端緒として和人に対する抵抗運動の形で始まりました。
一時は和人を追い払う寸前まで戦いを有利に進めたアイヌ軍でしたが、和人方が蠣崎家から派遣された武田信広の下で団結し形成を逆転させて最終的には和人方勝利に終わっています。
なお、アイヌが文字を持たない民族であったこともあったためコシャマインの戦いを伝える文献は多くなく、主たるものは戦いから約200年も経過した後の正保3年(1646年)に記された松前藩編纂藩史(新羅之記録)によるものであるため、その真偽は検証が必要といわれていますので、この点を前提として読んでいただければ幸いです。 “【コシャマインの戦い】蠣崎家躍進のきっかけとなった和人とアイヌの戦い” の続きを読む