【村木砦の戦い】今川義元から緒川城を防衛するための戦い

尾張国では、織田信秀の代から織田弾正忠家の尾張国内での勢力拡大と今川義元との間での熾烈な尾張・三河領土争奪戦が繰り広げられていました。

これらの戦いは、織田信秀が死亡して織田弾正忠家の家督を織田信長が引き継いだ後も、織田信長の尾張国統一戦として約7年間も繰り広げられます。

織田・今川の一進一退の攻防は、鳴海城・大高城・沓掛城を獲得した今川義元が優位に進め、今川義元がさらに知多半島に勢力を及ぼすべく緒川城の攻略を目指して前線基地である村木砦を建築します。

このとき、この脅威を取り除くため、緒川城主・水野信元が、21歳の若き織田信長に対して村木砦の攻略を依頼して起きたのが村木砦の戦い(むらきとりでのたたかい)です。 “【村木砦の戦い】今川義元から緒川城を防衛するための戦い” の続きを読む

【三木合戦(三木の干殺し)】羽柴秀吉の別所長治に対する兵糧攻め

攻城戦の名手として知られる羽柴秀吉の攻城戦歴の中でも、トップクラスに知名度があるのが、三木合戦です。

三木の干殺し(みきのひごろし/ほしごろし)と言われる約1年10ヶ月もの長い兵糧攻めが行われたことで有名です。第2次鳥取城の戦い(鳥取城の飢え殺し)の前哨戦でもあります。

本稿では、この悲惨な兵糧攻めとなった三木合戦について、その発生経緯から見ていきます。 “【三木合戦(三木の干殺し)】羽柴秀吉の別所長治に対する兵糧攻め” の続きを読む

【壇ノ浦の戦い】平家滅亡に至った治承寿永の乱のクライマックス

長きに亘って繰り広げられた源氏と平氏の戦い(治承・寿永の乱)のクライマックスは誰もが知っている壇ノ浦の戦いです。

数年前まで平家にあらずんば人にあらずと唄うほど栄華を極めた平家が、屋島を追われて海上に追い込まれ、遂には次々に海に飛び込んで死んでいった悲しい最期を迎えた戦いでもあります。

本稿では、この平家が滅亡することとなった壇ノ浦の戦いについて見ていきましょう。 “【壇ノ浦の戦い】平家滅亡に至った治承寿永の乱のクライマックス” の続きを読む

【志度合戦】屋島の戦い直後に平家が四国を失う結果となった戦い

志度合戦(しどかっせん)は、屋島の戦いに敗れて屋島を失った平家が、一旦東側に逃れて四国での再起を試みた戦いです。

もっとも、志度合戦の決着はあっけなく、度重なる敗戦と屋島の陥落により士気の下がった平家軍は、源義経率いる源氏軍に対し、本格的な戦いをするまでもなく敗退し、結果として四国を源氏に明け渡す結果に至りました。

本稿では、そんな屋島の戦いと壇ノ浦の戦いの架け橋となった志度合戦について見ていきたいと思います。 “【志度合戦】屋島の戦い直後に平家が四国を失う結果となった戦い” の続きを読む

【屋島の戦い】源義経率いる150騎の奇襲での平家拠点陥落

屋島の戦い(やしまのたたかい)は、平安時代の末期の元暦2年/寿永4年(1185年)2月19日に起こった、源頼朝方(源義経)と平家との直接対決の1つです。

平家が滅んだ壇ノ浦の戦いの直前の戦いでもあり、何と言っても「那須与一の扇の的」が有名です。

本稿では、そんな屋島の戦いについて、当時の情勢を追いつつ見ていきたいと思います。 “【屋島の戦い】源義経率いる150騎の奇襲での平家拠点陥落” の続きを読む

【一ノ谷の戦い】平家復権の夢が打ち砕かれた合戦

一ノ谷の戦い(いちのたにのたたかい)は、平安時代の末期の寿永3年/治承8年(1184年 )2月7日に起こった、源頼朝方(源範頼・源義経)と平家との直接対決の第1段の戦いです

一般に一ノ谷の戦いといわれますが、実際の合戦は、生田口・塩屋口・夢野口などの広範囲に亘って行われており、福原・須磨の戦いとでも言った方が正しいかもしれません。

また、この戦いは、様々な逸話が生まれ、「梶原の二度駆け」、「鵯越の逆落とし」、「熊谷直実による平敦盛討ち取り」など後世にまで語り継がれるエピソードが目白押しです。

以下、一ノ谷の戦いについて、戦いに至る経緯から順に説明していきたいと思います。 “【一ノ谷の戦い】平家復権の夢が打ち砕かれた合戦” の続きを読む

【中先代の乱】足利尊氏が建武政権から離反するきっかけとなった戦い

中先代の乱(なかせんだいのらん)は、鎌倉幕府滅亡に際して死亡した第14代執権・北条高時の遺児である北条時行が、御内人の諏訪頼重らに擁立され、鎌倉幕府再興のため挙兵した反乱です。

先代(北条氏)と後代(足利氏)との間にあって、一時的に鎌倉を支配したことから中先代の乱と呼ばれています。

中先代の乱は、建武の新政の崩壊、南北朝時代の始まり、足利尊氏による室町幕府成立などのきっかけとなった極めて歴史的意義の大きな戦いです。 “【中先代の乱】足利尊氏が建武政権から離反するきっかけとなった戦い” の続きを読む

【青野原の戦い】北畠顕家の運命を変えた南北朝時代の関ヶ原

青野原の戦い(あおのがはらのたたかい)は、南北朝時代の延元3年/暦応元年(1338年)1月28日から1月29日にかけて、美濃国・青野原で発生した、南朝方の北畠顕家軍と、北朝方(足利尊氏方)の土岐頼遠らとの戦いです。

後に、天下分け目の関ヶ原の戦いが行われたのと同じ場所で行われた、南北朝時代の決戦です。

なんとかこの戦いに勝利した南朝方の貴公子・北畠顕家でしたが、被った損害も大きく、その後の敗死に繋がってしまう重要な戦いでした。

以下、南北朝時代の関ヶ原とも言える青野原の戦いについて、その発生原因から見ていきましょう。 “【青野原の戦い】北畠顕家の運命を変えた南北朝時代の関ヶ原” の続きを読む

【石橋山の戦い】挙兵直後の源頼朝が大敗した戦い

石橋山の戦い(いしばしやまのたたかい)は、以仁王の令旨を奉じて平家打倒のために立ち上がり、伊豆目代の山木兼隆を討ち取って勢いに乗るはずだった源頼朝が、平家方の大軍に大敗した戦いです。

治承・寿永の乱と呼ばれる諸戦役の1つで、源頼朝の命が風前の灯火となった戦いでもあります。

以下、挙兵直後の苦しい時期の源頼朝の大敗北について見ていきましょう。 “【石橋山の戦い】挙兵直後の源頼朝が大敗した戦い” の続きを読む

【武田信玄の松本平侵攻】信濃守護小笠原家が滅亡した戦い

諏訪、上伊那、佐久を次々に攻略し、順調に信濃国を侵食していた武田信玄ですが、上田原の戦いで村上義清に大敗して信濃国衆の信頼を失って信濃侵攻作戦を中座させられます。

そればかりか、占領地で反乱が起き、また他国からの侵略を受けるなど、厳しい立場に追い込まれていきます。

そんな中、武田信玄は、小笠原長時を破って、失地を回復し、さらには松本平を手に入れるという逆転劇をやってのけます。

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