【琵琶湖疏水の扁額一覧】疏水工事関与者・明治元勲の揮毫

明治維新後の東京奠都に伴って人口が激減した京の復興策として行われた巨大プロジェクトが琵琶湖疏水です。

明治22年(1889年)に水運・灌漑・上水道・水車動力の源泉として第1疏水が完成して京の復興に大きく寄与し、その後、この大成功を受けて延伸工事や第2疏水工事などが進められていきました。

これらの琵琶湖疏水が京経済に寄与した功績を讃え、疏水流域には、疏水工事関与者・当時の元勲によって書かれたありがたいお言葉が扁額として掲げられることとなりました。

現在では、疎水流域が散歩道となっていますので、歩きながら、また第1疏水を運行する観光船に乗りながらこれらの扁額を見ることができますので、以下、観光の一助として琵琶湖疏水の簡単な歴史と掲げられている扁額の位置及びその内容を紹介したいと思います。 “【琵琶湖疏水の扁額一覧】疏水工事関与者・明治元勲の揮毫” の続きを読む

【樟葉宮】大阪府枚方市にあった継体天皇即位宮殿跡

樟葉宮(くすはのみや)は、古墳時代に即位した大王(第26代)天皇である継体天皇が即位した宮殿です。

先代であった第25代武烈天皇が後継者なくして崩御されたため、越前国を治めていた継体天皇が次期大王(天皇)として迎えられることとなりました。

このとき、継体天皇は、越前国を出て当時の都であった大和国に向かっていたのですが、その道中で即位することとなり、即位をし、さらにその後4年間に亘って滞在した場所が河内国樟葉の樟葉宮です。

大和国に向かっていたのになぜ河内国樟葉で即位したのか、その後なぜ樟葉宮に4年間も滞在したのかなどの詳しいことはわかっていません。

また、樟葉宮跡地についても伝承地とされており、必ずしも正確とは言えないのかもしれませんが、古代を偲ぶ一助となればと思い、本稿では樟葉宮について簡単に紹介したいと思います。 “【樟葉宮】大阪府枚方市にあった継体天皇即位宮殿跡” の続きを読む

【奈良奉行所】大和国に築かれた江戸幕府の繋ぎの城

奈良奉行所は、江戸幕府が地方の主要都市に設置した遠国奉行の1つであり、奈良廻り八カ村の行政・訴訟、大和国内の寺社支配を職掌とする役所です。奈良町御奉行・南都町奉行・南京奉行とも呼ばれます。

慶長18年(1613年)に中坊秀政が奈良奉行に任命されたのをはじめとして江戸末期まで42代に及ぶ奉行が任命されました。

有事の際には、上方から江戸までの繋ぎの城の機能を持っていたため、その他の地域の奉行所と比べても異常なほどの巨大な要塞でした。 “【奈良奉行所】大和国に築かれた江戸幕府の繋ぎの城” の続きを読む

【本町の曲がり】東横堀川にあった謎のクランク

「本町の曲がり」とは、現在の大阪市中央区内を南北に流れる東横堀川のうち、本町橋(北側)と農人橋(南側)との間にある折れ曲がり部分をいいます。

東横堀川開削時にできた謎のクランクであり、自殺の名所として有名な場所でもありました。

現在までにクランクは緩いS字カーブに造り変えられまたその上空には阪神高速の高架が架けられていますので、現在の姿は往時の姿ではないものの、往時の名残が残る場所となっています。

本稿では、この本町の曲がりについて、その完成の経緯から簡単に見ていきたいと思います。 “【本町の曲がり】東横堀川にあった謎のクランク” の続きを読む

【天下茶屋の地名由来】天下人・豊臣秀吉の茶屋

大阪市西成区「天下茶屋」や、大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro) の「天下茶屋」駅の由来をご存じですか。

大阪の天下人ゆかりの茶屋があったことからその名が付されました。

本稿では、この「天下茶屋(てんがちゃや)」という地名の由来について、簡単に説明していきたいと思います。 “【天下茶屋の地名由来】天下人・豊臣秀吉の茶屋” の続きを読む

【大阪「鶴橋」の由来】文献上に残る日本最古の橋の名残

大阪市生野区「鶴橋」や、近畿日本鉄道(近鉄)・西日本旅客鉄道(JR西日本)・大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro) の「鶴橋」駅の由来をご存じですか。

これらは、旧自治体名の東成郡「鶴橋」町由来するのですが、この行政区画がその名のとおりの「つる」の「はし」に由来し、さらにはその前の猪甘津の橋にまで遡ります。

本稿では、この「鶴橋」という地名の由来について、簡単に説明していきたいと思います。 “【大阪「鶴橋」の由来】文献上に残る日本最古の橋の名残” の続きを読む

【日本三大三門】南禅寺三門・知恩院三門・久遠寺三門について

伝統的な日本の仏教寺院には山門と呼ばれる門が設置されていることが一般的であり、その山門のうち、当該寺院の正門に配された中央の大きな門と左右の小さな門との3門を連ねて1門としたものを「三門」といいます。特に、禅宗寺院に多く見られる建築物です。

このうち、南禅寺・知恩院・久遠寺は日本三大三門と呼ばれており、考えられない巨大さで見る者を圧倒するスケール感があり、これを見るためだけに観光として訪れる価値があるのではないかと考えられます。

この他にも、京都三大三門と呼ばれる区分けがあったり、それらに含まれてはいないものの、同等クラスの歴史ある巨大な三門が全国各地に点在したりしてますので、本稿では、これらの三門についてもあわせて簡単に紹介していきたいと思います。 “【日本三大三門】南禅寺三門・知恩院三門・久遠寺三門について” の続きを読む

【蹴上インクライン】舟、山に登るの奇観と言われた傾斜鉄道

蹴上インクライン(けあげインクライン)は、かつて琵琶湖疏水におけるよる舟運ルートの一区間を担っていた傾斜鉄道です。

明治維新後の東京奠都により衰退した京都の活力を取り戻すために、大津と京都を結ぶ琵琶湖疏水事業が行われたのですが、琵琶湖疏水が基本的にはほとんど水位差がない平坦な水路であったために舟運用水路としても利用されることとなりました。

もっとも、水路区間中で、蹴上船溜から南禅船溜までの区間のみ長さ約640mで約36mもの水位差が発生しており、ここが水運のネックとなりました。

この36mの高低差を船が行き来できるよう、明治24年(1891年)、船を台車に乗せてケーブルカーの原理で傾斜路を上下させる構造にて敷設されたのが蹴上インクライン(傾斜鉄道)です。 “【蹴上インクライン】舟、山に登るの奇観と言われた傾斜鉄道” の続きを読む

【安閑天皇陵(高屋築山古墳)】高屋城の主郭に転用された天皇陵

高屋築山古墳(たかやつきやまこふん)は、宮内庁によって安閑天皇陵に治定されている古市古墳群の最南端にある前方後円墳です。

学術的に見ると高屋築山古墳=安閑天皇陵とする点については疑問も残るのですが、そのことよりも戦国時代に河内守護畠山家の居城となった高屋城の主郭に転用されたことで有名です。

本稿では、この安閑天皇陵(高屋築山古墳)について、簡単に説明していきたいと思います。 “【安閑天皇陵(高屋築山古墳)】高屋城の主郭に転用された天皇陵” の続きを読む

【豊国廟】563段の石段の先にある豊臣秀吉の墓

豊国廟(ほうこくびょう)は、豊国神社の境外地となった京都市東山区今熊野北日吉町にある豊臣秀吉のお墓です。

麓から563段の石段を登った阿弥陀ヶ峰の山頂に建てられた石造五輪塔として祀られています。

後の天下人となった徳川家康が久能山(後に日光)に葬られたことと比較すると、一見、質素かつマイナーであるかのように感じますが、その理由は、徳川家康が豊臣家滅亡後に行った豊臣家の痕跡抹消政策によるものです。

本稿では、豊臣家と徳川家の勢力争いをからめつつ豊臣秀吉の墓である豊国廟について簡単に説明したいと思います。 “【豊国廟】563段の石段の先にある豊臣秀吉の墓” の続きを読む