フェートン号事件は、文化5年(1808年)8月、鎖国体制下の長崎港にイギリス軍艦が侵入し、江戸幕府の遠国奉行(地方機関)である長崎奉行から薪・水・食料を脅し取った事件です。
ヨーロッパにおけるナポレオン戦争で争っていたイギリスとフランスの争いの余波が日本にまで飛び火して発生した事件であり、フランスの支配下に入ったオランダの船舶を追って長崎湾に入って来たイギリス船・フェートン号が、ことのついでに長崎奉行を脅して物資を強奪していきました。
イギリス艦・フェートン号には日本(江戸幕府)と事を構える意思はなく、また日本側にも人的被害が出なかった事件ではあるのですが、国の1つの地方機関が、たった1隻の軍艦の武力に屈するという国辱的事実を全世界に知らしめてしまった事件となりました。
本稿では、フェートン号事件に至る国際情勢を簡単に説明した上で、フェートン号事件の経緯について説明していきたいと思います。 “【フェートン号事件】長崎の黒船来航” の続きを読む