1853年に江戸湾に来航したことにより日本の歴史を変えたのが、アメリカ合衆国東インド艦隊司令長官ペリー率いる4隻の黒船艦隊です。
ペリーが圧倒的な軍事力に基づく砲艦外交により江戸幕府に開国を迫り、江戸幕府がこれに屈したことにより江戸幕府が滅亡に向かうと共に、その後の不平等条約締結へ向かっていくこととなった歴史はあまりにも有名です。
黒船来航により一気に歴史が動き始めたため、アメリカ合衆国の艦隊がこの頃に突然日本にやって来たようなイメージを持たれがちなのですが、全くそんなことはありません。
アメリカは、ペリーが来航する15年以上前から何度も日本との「友好的な付き合いを求めて」日本に来航していました。
ところが、日本側がこのアメリカ側の有効的アプローチに対し、無警告砲撃を行うなど、現在の認識からするとおよそあり得ない方法でこれを拒否し続けたことからアメリカ側が態度を硬化させ、ついに強硬手段に出ることとなったという歴史的経緯があります。
本稿では、 ペリー来航以前のアメリカ側のアプローチと、それに対する日本側の対応の経緯について、簡単に説明していきたいと思います。 “【幕末日米交渉史】突然の出来事ではなかったペリーの黒船来航” の続きを読む