【前九年の役】陸奥国奥六郡を実効支配した安倍氏が滅亡した戦い

前九年の役(ぜんくねんのえき)は、平安時代後期に陸奥国・奥六郡の俘囚長であった安倍氏の反乱から始まった一連の戦いです。

前九年合戦とも呼ばれ、12年間続いた争乱がなぜか「九年」とされている謎の名前が付されています。

東北地方の一大勢力となった安倍氏が滅亡した大戦争であり、源氏の家名を高めた後三年の役の前哨戦となった戦いでもあります。

本稿では、そんな前九年の役について、その発生に至る経緯から説明していきたいと思います。 “【前九年の役】陸奥国奥六郡を実効支配した安倍氏が滅亡した戦い” の続きを読む

【源頼朝の征夷大将軍就任】権威があれば何でも良かった初代鎌倉殿の肩書

日本の歴史上、武家政権の長としての官職・肩書は征夷大将軍であるとの認識が一般的です。

室町幕府でも江戸幕府でもこの認識は変わりません。

もっとも、初期の鎌倉幕府では違います。鎌倉幕府の長の肩書は、「鎌倉殿」であり、征夷大将軍ではありません。

征夷大将軍とは、律令制の令外官として存在した「夷」を「征」服する「大将軍」をいうため、東北遠征軍の軍事指揮官に過ぎず武家政権や幕府の長などという意味はないからです。

後に征夷大将軍が武家政権の長の代名詞となったのは、鎌倉幕府の初代トップ(鎌倉殿)であった源頼朝が就任しその力を絶対化させたからです。

本稿では、源頼朝が、後に武家政権の長の代名詞となった征夷大将軍に就任するに至った経緯とその意味について説明していきたいと思います。 “【源頼朝の征夷大将軍就任】権威があれば何でも良かった初代鎌倉殿の肩書” の続きを読む

【静御前】日本一の白拍子と言われた源義経の愛妾

静御前(しずかごぜん)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した女性白拍子であり、源義経の愛妾として有名です。

吉野山で源義経と別れた後、源頼朝の前で源義経を慕う舞を舞わされ、生まれてきた子を源頼朝に殺されるという悲しい人生を送ります。

また、その人生の最期についての記録はないことから、哀れを誘う人生を偲んで全国各地に静御前の民間伝承や静御前のものと言われる墓が点在するなど現在においてなおミステリアスな女性です。

本稿では、数奇な人生を歩んだ静御前の生涯について見ていきたいと思います。
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【源義平】悪源太と呼ばれた源頼朝の長兄

源義平(みなもとのよしひら)は、源義朝の庶長子と生まれた武将であり、源頼朝や源義経の異母兄にあたります。

大蔵合戦で源義賢を討ち取る武功を挙げ、「鎌倉悪源太」と呼ばれて恐れられるようになった人物です(「悪」=強い、「源」=源氏の、「太」=長男)。

平治の乱では、義平十七騎と呼ばれる少数騎兵で、平重盛率いる大軍を蹴散らしたことでも有名です。

そして、最期は、捕えられて平清盛の前に引き立てられた後、数え20歳の若さで京の六条河原で斬首されています。

本稿では、そんな波乱万丈の源義平の人生について順にみていきたいと思います。 “【源義平】悪源太と呼ばれた源頼朝の長兄” の続きを読む

【源義経の奥州逃避行】平家討伐の英雄が謀反人とされて奥州に落ちていくまで

壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼす大金星を挙げた源義経でしたが、その後すぐに鎌倉の源頼朝と対立し、その命を狙われ続けます。

戦果を報告するために鎌倉に向かっても鎌倉入りを許されず、京に戻ると源頼朝からの刺客に襲われます。

やむなく源頼朝討伐の挙兵をしても兵が集まらず、勢力を整えるために九州に向かおうとしても船が難破して押し戻されるなど、平家討伐後の源義経の人生は悲惨です。

その後、京にいられなくなった源義経は、かつての育ての親ともいえる藤原秀衡を頼って奥州に落ち延びていくこととなるのですが、本稿ではこの平家討伐後から奥州落ちに至る経緯を簡単に説明していきたいと思います。 “【源義経の奥州逃避行】平家討伐の英雄が謀反人とされて奥州に落ちていくまで” の続きを読む

【第80代・高倉天皇】父の後白河上皇と舅の平清盛の間で苦しんだ若き天皇

高倉天皇(たかくらてんのう)は、後白河天皇の第七皇子として生まれ、即位後に平清盛の娘である平徳子を中宮に迎えた天皇です。

壇ノ浦で入水した安徳天皇、承久の乱で北条義時と争った後鳥羽天皇らの父でもあります。

本稿では、後白河院と平清盛の権力争いの道具として、生涯父と舅の間で苦しめられ続けた若き天皇、高倉天皇の生涯について振り返って行きたいと思います。 “【第80代・高倉天皇】父の後白河上皇と舅の平清盛の間で苦しんだ若き天皇” の続きを読む

【第81代・安徳天皇】平家政権の傀儡として生き入水して人生を終えた幼帝

安徳天皇(あんとくてんのう)は、平清盛の傀儡として数え年3歳(満1歳2か月)で第81代天皇として即位し、その後源氏に追われて各地を転々とした後、歴代最年少の数え年8歳(満6歳4か月、6年124日)で崩御された天皇です。

歴代の天皇の中で最も短命であり、戦乱で落命したことが記録されている唯一の天皇でもあります。

本稿では、源平争乱の一番の被害者ともいえる安徳天皇の生涯について見ていきたいと思います。 “【第81代・安徳天皇】平家政権の傀儡として生き入水して人生を終えた幼帝” の続きを読む

【比企能員】源頼家の舅となって権勢を強めた比企尼の甥

比企能員(ひきよしかず)は、乳母として罪人時代の源頼朝を支え続けた比企尼の甥であったために、比企尼の猶子となって比企家の家督を継ぎ、鎌倉幕府の有力御家人となった人物です。

比企尼の功に加え、一族を利用した姻戚関係、娘の若狭局が源頼家の側室となって嫡子・一幡を生んだことなどから、鎌倉幕府内で権勢を強めていました。

もっとも、あまりに大きくなりすぎた力を恐れた北条時政に危険視され、最終的には暗殺され、一族も粛清されて比企家滅亡に至るという悲しい結末を迎えています。 “【比企能員】源頼家の舅となって権勢を強めた比企尼の甥” の続きを読む

【京都・島原】江戸時代に京文化の中心となった花街の現在

京の花街「島原」をご存じですか。

島原は、日本で初めて公許された最古の花街であり、日本三大遊郭(江戸吉原・大坂新町・京都島原)、京都の六花街(祇園甲部・宮川町・先斗町・上七軒・祇園東・島原)などと言われて栄えた花街です。

歓楽街としてだけでなく京文化の中心として栄えのですが、時代の流れとともに衰退して昭和52年(1977年)にその歴史を閉じています。

往時の遺構としては、島原大門、輪違屋、角屋くらいしか残されていませんが、街全体を歩いてみると花街としての雰囲気が残っていますので、本稿を観光の一助としていただければ幸いです。 “【京都・島原】江戸時代に京文化の中心となった花街の現在” の続きを読む

【芹沢鴨暗殺】近藤勇が新撰組の長となった壬生・八木邸での粛清劇

新撰組局長として誰もが思い描く名は近藤勇だと思います。

NHKの大河ドラマにまでなった余りにも有名な人物であるため、新撰組は近藤勇が1人で作った組織であるかのように思われがちですが、実は違います。

初代新撰組(壬生浪士組)の初代筆頭局長は、芹沢鴨(せりざわかも)という人物であり、近藤勇はこの芹沢鴨を粛清して新撰組のトップになっています。

本稿では、近藤勇が新撰組のトップのなるに至ったこの芹沢鴨の粛清劇について、その発生に至る経緯から説明したいと思います。 “【芹沢鴨暗殺】近藤勇が新撰組の長となった壬生・八木邸での粛清劇” の続きを読む