【平将門の乱】平氏台頭のきっかけとなる関東武士の反乱

平将門の乱(たいらのまさかどのらん)は、平安時代中期に関東で発生した反乱で、ほぼ同時期(承平・天慶期)に瀬戸内海で発生した藤原純友の乱(ふじわらのすみとものらん)と合わせて承平天慶の乱(じょうへいてんぎょうのらん)とも呼ばれます。

平将門の乱は、単なる一武士の反乱に止まらず、藤原純友の乱と合わせて、日本の律令国家衰退と武士を誘発し、平氏(平将門の乱の方に平貞盛が参加したため)と源氏(藤原純友の乱の鎮圧に源経基が参加したため)が台頭するきっかけともなった歴史が転換するきっかけとなった事件です。 “【平将門の乱】平氏台頭のきっかけとなる関東武士の反乱” の続きを読む

【衣摺の戦い(丁未の乱)】物部氏が蘇我氏に滅ぼされた戦い

衣摺の戦い(きずりのたたかい)は、奈良時代に仏教認容を巡って大臣・蘇我馬子と大連・物部守屋が対立した結果として用明天皇2年(587年) 7月に勃発し、物部氏が滅亡した合戦です。

丁未の乱(ていびのらん)、丁未の変、丁未の役、物部守屋の変とも言われる飛鳥時代の2大豪族の権力争いです。 “【衣摺の戦い(丁未の乱)】物部氏が蘇我氏に滅ぼされた戦い” の続きを読む

【壬申の乱】大海人皇子と大友皇子が皇位を巡って争った古代日本最大の内乱

壬申の乱(じんしんのらん)は、天智天皇の死後、その弟である大海人皇子と、息子である大友皇子とが皇位継承を巡って争った古代日本最大の内乱です。

戦いがあった天武天皇元年(672年)が、干支で壬申(じんしん、みずのえさる)にあたることから壬申の乱と呼ばれます。

天智天皇の後を継いだ皇太子・大友皇子に対して、皇弟・大海人皇子が兵を挙げるという形で勃発し、反乱者である大海人皇子が勝利し天皇として即位するという、極めて珍しい結果に終わった戦いでもあります。 “【壬申の乱】大海人皇子と大友皇子が皇位を巡って争った古代日本最大の内乱” の続きを読む

【道明寺の戦い・誉田の戦い】後藤又兵衛が戦死した豊臣軍と徳川大和方面軍との合戦

道明寺の戦い(どうみょうじのたたかい)・誉田の戦い(こんだのたたかい)は、慶長20年(1615年)5月6日に発生した、徳川・大和方面軍と豊臣方迎撃隊との間で発生した野戦です。

大坂夏の陣のクライマックス直前の戦いの一つであり、後藤又兵衛(後藤基次)が戦死した戦いでもあります。

以下、道明寺の戦い・誉田の戦いについて、その発生経緯から順に説明します。 “【道明寺の戦い・誉田の戦い】後藤又兵衛が戦死した豊臣軍と徳川大和方面軍との合戦” の続きを読む

【田中吉政】近江国八幡・三河国岡崎・筑後国柳川を造った武将

田中吉政(たなかよしまさ)は、農民から出生し、宮部継潤・豊臣秀吉・豊臣秀次・徳川家康らに仕え、関ヶ原の戦いの際には石田三成を捕縛する大功を挙げて筑後国32万石の国持大名にまで上り詰めた人物です。

本稿では、そんな田中吉政について、転封の過程で行った近江国八幡(現滋賀県近江八幡市)、三河国岡崎(現愛知県岡崎市)、筑後国柳川(現福岡県柳川市)の現在につながる都市設計を紹介しながら見ていきたいと思います。 “【田中吉政】近江国八幡・三河国岡崎・筑後国柳川を造った武将” の続きを読む

【一柳直末】山中城の戦いで討死した秀吉子飼いの武将

一柳直末(ひとつやなぎなおすえ)の名を聞いたことがありますか。

一柳直末は、木下姓時代から秀吉に仕え、将来の天下人・豊臣秀次を支える立場になるほど豊臣秀吉の信頼を勝ち得た人物です。

黒田官兵衛の義兄弟でもあります。

小田原征伐の一環として行われた山中城の戦いで戦死したためにその後に名を残せなかったためマイナー扱いされているのが残念です。

本稿では、そんな埋もれたマイナー武将、一柳直末について見ていきたいと思います。 “【一柳直末】山中城の戦いで討死した秀吉子飼いの武将” の続きを読む

【長尾為景】主を2人殺した天下に例なき奸雄である上杉謙信の実父

長尾為景(ながおためかげ)は、越後長尾家第7代当主として、1506年から1536年まで越後の国を治めた戦国大名です。

元々は、越後守護代・越中国新河郡分郡守護代から始まり、越後守護・上杉房能と、関東管領・上杉顕定という2人の主を殺害してのし上がるという類を見ない下克上を行った人物です。

戦国時代の下克上の先駆者です。

上杉謙信の実父でもあります。 “【長尾為景】主を2人殺した天下に例なき奸雄である上杉謙信の実父” の続きを読む

【北条氏邦】小田原征伐のきっかけを作った猛将

北条氏邦・藤田氏邦(ほうじょううじくに・ふじたうじくに)は、北条氏康の四男として生まれ、上野国方面の軍事を任されるなどして北関東の最前線で活躍し、いくつもの武功を挙げて北条家の領土拡大に大きく貢献した武将です。

他方で、北条家滅亡に繋がる小田原征伐のきっかけを作った人物であり、その意味では評価が分かれるかもしれません。

最終的には、生まれ故郷から遠く離れた加賀国・金沢で最期を迎えるという数奇な人生の終え方をした人物でもあります。 “【北条氏邦】小田原征伐のきっかけを作った猛将” の続きを読む

【花倉の乱】海道一の弓取り今川義元の家督相続

花倉の乱・花蔵の乱(はなくらのらん、はなぐらのらん)は、天文5年(1536年)に起きた、駿河国の守護大名・今川家の家督を巡る内乱(お家騒動)です。

後に海道一の弓取りと言われる今川義元の家督相続のきっかけとなった戦いでもあります。

今川義元(還俗前は栴岳承芳)、母・寿桂尼、師・太原雪斎と、今川良真(還俗前は玄広恵探)との戦いという、僧侶と尼の殺し合いというシュールな戦いです。 “【花倉の乱】海道一の弓取り今川義元の家督相続” の続きを読む

【山中城の戦い】小田原征伐の一環として行われた豊臣軍の力攻め

山中城の戦いは、豊臣秀吉の小田原征伐の一環として行われた戦いであり、箱根旧街道を東進する豊臣秀次・徳川家康らと、これを迎え討つ北条氏勝・松田康長らとの戦いです。

北条家の築城技術を結集して築かれたの山名城でしたが、完成前であったこと、寡兵であったことなどから僅か半日で落城し、豊臣軍の勝利で終わっています。

攻城戦の名手として名高い豊臣秀吉が、短時間で攻略することによって圧倒的な力を見せつけようとして損害を承知であえて力攻めで攻略したという珍しい戦いとして有名です。

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