織田長益(おだながます)は、織田弾正忠家当主であった織田信秀の十一男として生まれた武将であり、織田信長の末弟にあたります。
織田信忠の下について織田家の勢力拡大戦に従軍したのですが軍才はなく、目立った武功は見受けられませんでした。
本能寺の変により織田信長が死亡した後は、織田信雄・豊臣秀吉・豊臣秀頼の臣下となったのですが、そこでも武将としての活躍はほとんどありませんでした。
もっとも、千利休に茶道を学んで利休十哲の一人にも数えられるほどの茶人となり、千利休の死後に自らの茶道流派である有楽流を創始するに至り、長益系織田家嫡流初代として織田家の血を後世に残すことに成功しています。
出家後に有楽(うらく)・如庵(じょあん)と号したことから、織田有楽斎(おだうらくさい)と呼ばれることもあります。 “【織田有楽斎(織田長益)】有楽流茶道創始者となった織田信長の弟” の続きを読む