豊臣秀吉は、男色が当たり前だった時代に女性のみを愛し、ルイスフロイスが記した日本史には側室が300人いたとも記されているのですが、なかなか子宝に恵まれませんでした。
生涯で3人の男児を儲けたとされているものの、長男・次男は早世し、三男・豊臣秀頼は年老いて産まれた子であったために豊臣家に混乱をもたらしました。
本稿では、思うように後継者を定めることができなかった豊臣秀吉が、その時々で誰を豊臣家(羽柴家)の後継者としていたかについて、時系列順に説明して行きたいと思います。
なお、豊臣秀吉は、木下藤吉郎→木下秀吉→羽柴秀吉→豊臣秀吉と名乗りを変遷させていますが、本稿では便宜上「豊臣秀吉」の表記で統一することとします。 “【豊臣秀吉の後継ぎ候補者の推移】混乱する豊臣政権後継者選定問題” の続きを読む