【大宰府】軍事拠点として誕生し統治機関へと変化した西の都の歴史

大宰府(だざいふ)は、律令制度確立期に西海道(現在の九州地方)を統治するために筑前の国に設置された統治機関です。

大王の勅を司ることから、和名では「おほ みこともち の つかさ」と言われます。

政治・行政機関として機能した大宰府は、元々は中国・朝鮮に君臨していた王朝から古代日本を守るための軍事施設として成立した軍事都市であり、中国・朝鮮との関係が改善して侵略される危険が薄れたことから、次第にその役割を政治都市に変えていったという歴史的経緯があります。

本稿では、軍事都市兼政治都市として反映した西の都・大宰府の歴史について見ていきたいと思います。 “【大宰府】軍事拠点として誕生し統治機関へと変化した西の都の歴史” の続きを読む

【中津城(続日本100名城191番)】黒田官兵衛が築き細川忠興が完成させた水城

中津城(なかつじょう)・中津川城(なかつがわじょう)は、戦国時代末期に、豊前国に入った黒田官兵衛によって築かれ、後に細川忠興によって完成された水城(海城)です。

山国川から分かれた中津川の河口デルタ部を巧みに利用し、瀬戸内水運を利用できる絶好の立地でありながら、堅固な防御力を誇った一大城郭です。

明治期以降に大部分が破却されてしまっていること、観光用の模擬天守が不自然な場所に建てられていることなど一部残念なところもありますが、日本三大水城として名高い中津城について、その築城に至る歴史から見ていきたいと思います。 “【中津城(続日本100名城191番)】黒田官兵衛が築き細川忠興が完成させた水城” の続きを読む