吉野城の戦い(金峯山城の戦い)は、吉野に入って倒幕運動を続けていた後醍醐天皇の皇子である護良親王を討つため、鎌倉幕府方の六波羅探題が大軍を動員して力攻めを行った戦いです。
最終的には鎌倉幕府軍の勝利に終わり敗れた護良親王は高野山に落ちていくのですが、その過程で村上義光が身代わりとなって自刃したり、村上義隆が1人で殿を務めたりするなど、多くの泣かせるエピソードがある戦いでもあります。
本稿では、元弘の乱初期の大戦である吉野城の戦いについて、発生に至る経緯から簡単に説明していきたいと思います。 “【吉野城の戦い】金峯山寺に籠った護良親王の籠城戦” の続きを読む