【統帥権干犯問題】海軍軍令部暴走の端緒となった政争

統帥権干犯問題は、昭和5年(1930年)のロンドン海軍条約の批准をめぐり、ときの与党であった立憲民政党党首として首相を務めていた濱口雄幸が、海軍軍令部と野党であった政友会から統帥権の侵害行為であるとして糾弾された問題です。

本来であれば条約の締結・批准は、内閣(行政権)が決定すべき事項であり、決定権を持たない海軍軍令部が内閣を糾弾する権利はありません。

そのため、海軍軍令部による糾弾は法的には単なる言いがかりに過ぎず、本来であれば、無視されて終わるはずだったのですが、この問題を、政友会が立憲民政党を攻撃するための根拠として利用したことから政治問題化し大問題となったのです。

そして、海軍軍令部は、野党とはいえ帝国議会内に自分たちの主張を擁護する後ろ盾を得たと考え、この主張を押し通すための暴走を始めるきっかけとしたのです。

その結果、以降、軍部の暴走と日本の軍国主義化が始まりました。

今になって振り返ってみれば、政争が軍部の台頭と暴走を誘発し、結果として戦争に突き進んで国を滅ぼすきっかけを作った事件として現在でも学ぶべきことが多い事件です。 “【統帥権干犯問題】海軍軍令部暴走の端緒となった政争” の続きを読む