戦国時代に合戦のやり方から、城の構造まで、武士の作法の全てを一変させた新兵器があります。鉄砲(火縄銃)です。
その伝来場所から種子島とも言われます。
そして、その鉄砲の一大生産地として有名なのが近江国坂田郡国友(現在の滋賀県長浜市国友町)です。
では、なぜ種子島から遠く離れた国友が鉄砲の一大生産地となったのでしょうか。
以下、鉄砲の里・国友の歴史について簡単に説明したいと思います。 “【近江国・国友】機能美を極めた鉄砲・火縄銃の里” の続きを読む
日本の歴史をできる限りをわかりやすく
戦国時代に合戦のやり方から、城の構造まで、武士の作法の全てを一変させた新兵器があります。鉄砲(火縄銃)です。
その伝来場所から種子島とも言われます。
そして、その鉄砲の一大生産地として有名なのが近江国坂田郡国友(現在の滋賀県長浜市国友町)です。
では、なぜ種子島から遠く離れた国友が鉄砲の一大生産地となったのでしょうか。
以下、鉄砲の里・国友の歴史について簡単に説明したいと思います。 “【近江国・国友】機能美を極めた鉄砲・火縄銃の里” の続きを読む
天下統一を果たして太平の世を築いた徳川家康。
もっとも、徳川家康の天下統一は決して順風満帆であったわけではなく、生涯何度も命の危機に晒されています。
絶体絶命だったと言われるものだけでも3つもあります。
本稿では、このうち、神君伊賀越えについて見ていきます。 “【神君伊賀越え】徳川家康が九死に一生を得た三河国への逃避行” の続きを読む
足利義昭を奉じて上洛し、圧倒的な軍事力で次々と周辺勢力を取り込んでいった織田信長ですが、第一信長包囲網の最終期に浅井長政・朝倉義景を追って比叡山延暦寺を取り囲んだ際(志賀の陣)、各地で反織田信長の挙兵が続発します。
室町幕府15代将軍である足利義昭は、この反織田信長勢力の勢いを見て、これに便乗して自らに対する織田信長の影響力を相対的に低下させようと画策します。
足利義昭は、元亀2年(1571年)ころ有力大名等に反織田信長の決起を求める御内書の宣下をし、これに呼応する形となる抵抗勢力と織田信長とのいたちごっこが始まります。 “【第二次信長包囲網】反織田信長勢力の結集と崩壊” の続きを読む
織田信長は、足利義昭を奉じて上洛して畿内の実権を握った後、抵抗勢力との果てしない戦いを繰り広げることとなります。
本稿では、信長の上洛と、その後の第一次信長包囲網に至るまでの経緯について簡単に紹介したいと思います。 “【第一次信長包囲網】織田信長の畿内制圧と包囲網形成の経緯” の続きを読む