ペリー来航により外圧によって強制的に終了させられた江戸幕府の鎖国体制ですが、その前兆となる事件は相当前から起こっていました。
長崎・対馬・薩摩・松前という4つの対外窓口において、オランダ・中国・朝鮮・琉球・アイヌに限って対外貿易を認めていた江戸幕府に対し、18世紀後半頃からシベリア開発を本格化させたロシア帝国が貿易を求めてきていたのです。
そして、実際に18世紀後半頃から蝦夷地にロシア船が頻繁に現れるようになり、紳士的対応で国交を求めてきたため、江戸幕府としてはその対応が迫られる事態に発展していきます(これに対し、江戸幕府が無礼を働いたために大問題に発展しています。)。
本稿では、日本開国に先立つロシアの日本接近について、そこに至る経緯、それに対する江戸幕府の対応などについて順に説明していきたいと思います。 “【江戸時代後期のロシアの日本接近】” の続きを読む