明治37年(1904年)から明治38年(1905年)9月までの間、大日本帝国とロシア帝国との間で戦われた日露戦争ですが、なぜこの戦争が起こったのでしょうか。
日本側から見ると、日清戦争により獲得したはずの遼東半島が三国干渉により奪われた対ロ悪感情や、朝鮮半島の支配権を巡るロシアとの軋轢が主たる原因と説明されるのが一般的です。
では、ロシアの戦争目的は何だったのでしょうか。
ロシアの政治的・経済的中心地はモスクワやサンクトペテルブルクがある領土西端部です。
そのため、極東の地は、ロシアから見ると辺境地に過ぎません。
それにも関わらず、ロシアは、国家・国民に多大な犠牲を強いてまで獲得しなければならない利益がこの極東の地あったのです。
本稿では、なぜロシアは日本と戦争してまで極東の地に進出して来たのか、その理由について歴史的経緯を順に説明していきたいと思います(なお、本稿は、あくまでも日本史ブログであり、日本史を理解する限度で必要な範囲の説明に留め、世界史分野となる詳細な説明は割愛します。)。 “【ロシア帝国の日露戦争の目的】なぜロシアは東アジアに向かったのか” の続きを読む